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2011年 03月 18日
地震発生後1週間。初期段階の生存者救助活動も打ち切りと聞きました。 まだまだ行方不明者も多い中、やるせない気持ちもありますが、避難されている被災者への物資運搬も優先して欲しいものです。 さて、地震後の我が家。 子供たちを寝かしつけ、しばらくするとパパが帰宅。 懐中電灯もあったのに、電池が錆びていて使えなかった。 ろうそくの明かりで物を探す。 それも危ないので、とりあえず、早く寝ることに。 翌日。 朝から食料調達に回る。 近所の小学校でもらえたものは、乾パンと水。 お昼に行くと、食料はすぐになくなり、水しかもらいないとのこと。 幸いその後カップラーメンを2つもらうことができた。 我が家は、オール電化。 停電すると何もできない。 卓上コンロもIHなので、使えない。 こういうときには、やはり、ガスコンロを準備しておくべきだった。 お昼過ぎ。色々な情報から、市役所でおにぎりを配布していると聞く。 停電で、信号も機能しない中、恐る恐る向かう。 配布先には、行列が。。。 いざもらえる所に行くと、一人一個と言われる。 家族分は現地に来ないともらえないとの事。 この非常事態に、小さい子供を連れて誰が来れる? 怒りに湧きながらも、近所の友達と、協力して、自分たちで炊き出しをしようと帰ることに。 幸いお友達の家は、プロパンで使用可能。 お米、野菜を持って行き、トン汁とおにぎりを作った。 温かいものを食べれる幸せ。これほどありがたいと感じたことはなかった。 食料、水、電気。いつもあって当たり前なものが無いことが、これほど不安で心細いとは。 何でも手に入るこの世の中で、これほどひもじい思いをするとは、思ってもみなかった。 トン汁を作り終えたころ、電気が復旧したことを知る。 明かりがあるだけで、こんなに安心するなんて。これから夜を迎えようというときだったので、すごくありがたかった。 私は、この状況下で、気づくと家族に食べ物を与えることを優先させていた。必死に食料を確保していた。 これが母性本能ということか。 そして、家族、友人のことを強く考え、自分は二の次で、必死に世話をした。 いつもの日常生活では、なかなか気付かないが、やはり私は食と家族、友人を最も重要に考えているんだなとわかった。 電気がつき家に帰り、ほっとすると、テレビでこの地震の被害状況を初めて目のあたりにする。 唖然とし、声にならなかった。 被害に合っている人ほど、テレビやラジオがなかったり、情報が入りにくいものなんだと思った。 そして、みんなに知ってほしい。 電気がないと携帯の充電ができないということを。 ありがたいことに、すごく多くの人から心配のメールや電話が届いた。 しかし、その為すぐに充電が無くなってしまった。 そして一番大切な家族に連絡が取れなくなってしまったこと。 家族の無事は、実家に連絡できたものの、それ以降連絡が取れなくなり、心配した父が地震の2日後12時間かかり、栃木まで車で来てくれた。 ありがたかった。 カップラーメンや、懐中電灯、ガスコンロを持ってきてくれた。 父がいるうちに、壊れたタンスや本棚を直してもらい、耐震対策をしてもらった。 一番大変だったのが、食器棚。 耐震は利いていたものの、中でお皿が割れぐちゃぐちゃに。 その為食器棚が開かず、割れた食器も取りだせなかった。 少し開いた隙間から、割れたお皿を一枚ずつ取りだしていき、ようやく扉が開くことができた。 割れた破片がそこらじゅうに飛び散り、お皿をすべて洗わなければなかなかった。 キッチンだけでも一日かかりだった。 ある程度、片づけの目処が経つと、計画停電、ガソリン不足、続く余震、原発、色々な心配があるので、一旦愛知の実家に帰ることにした。 その移動中。静岡地震があった。 私たちは、まさにその真上を通過中だった。 パパは、風でハンドルが持って行かれたと思ったらしが、実は、震度6の地震が来ていたのだ。 気づいたら、車はセンターラインまで行っていたそうだ。 危うく多事故を起こしていたかもしれない。 後から考えると、とんでもなく恐ろしかった。 栃木から、愛知まで、東北道が使えなかったことから、ずっと4号で南下。結局10時間はかかった。 地震から、子供たちは精神的にも不安定になっており、ゆいなは、地震をとても怖がり、ゆらはずっと夜泣きをしている。 片づけなどもあり、結局私は地震が起きてから、愛知に帰るまで十分な睡眠が取れなかった。 愛知に戻り、翌日からは、ようやくゆらの夜泣きもおさまり、落ち着いたのか、家族でぐっすり眠れるようになった。 ようやく安心できた。
by chiharunrun68
| 2011-03-18 15:32
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